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    Categories: 飼育

ハリネズミの旅立ち

あまりにも悲しい出来事があった時、人の脳はその記憶を削除して精神を守ろうとするらしい。まだ数日しか経っていないのに、マロンとお別れした日の記憶が薄らいでいく。忘れてしまえば楽になるのかもしれないけれど、絶対に忘れたくはないので文字にして残しておく。

一番最初の異変は1月5日(日)の午前3時。年始早々夜更かしをしていた私は「フニャ!」というマロンの声に気がついてケージからマロンを抱き上げた。膝にのせるとえずくように口をパクパクさせてフードを吐いた。吐いたものはブリスキーだった。好きではないフードだから吐いたのかなと思い、口元を拭って、フードと水を新しいものに替えた。今思い返せば、マロンはあまり吐かない子だった。この時点でもう少し事態を深刻にみていればよかったのかもしれない。

午前8時半ごろ、いつものようにマロンをケージから出す。マロンはトイレに行って用をたすが、うんちがお尻にくっついたままだった。色も硬さも普通だったので、単に加齢によって足腰の力が弱くなり、うまくいきめなくなっているのかなと思った。吐いてからはごはんを食べていないようだったので、大好きなヘッジホッグダイエットをお皿に入れて差し出す。匂いは嗅ぐものの、食べようとはしなかった。朝フードを食べない日もよくあったので、特に気にせず、少し遊ばせてからケージに戻してお留守番させた。

午後6時頃に帰宅し、ケージを覗くと全くごはんを食べていない。ここでちょっとおかしいなと思った。抱き上げて体をチェックしたところ、薄く血の滲んだよだれが出ていることに気がついた。口元を確認すると、右側の下の歯茎が少し赤くなっていた。もしかしたら歯肉炎かもしれない。これが痛くてご飯が食べられないのだろうと思った。

カリカリ派のマロンには申し訳ないがヘッジホッグダイエットをふやかしてドロドロにしたものをあげてみた。なかなか食べようとはしなかったが、根気よく待っていたらペロリと舌を出し、少しだけ食べてくれた。水も飲んでいる様子がなかったので、スポイトで与えようとしたが拒否し、私の掌に水がこぼれた。するとそれをペロペロと舐めて飲み始めたのでそのまま掌に水を追加しながら水を飲ませた。

この時、漠然と嫌な予感がした。水を飲まないというのは良くない兆候だ。病院に連れて行きたいが、あいにく6日(月)は休診日。開院している他の病院を探して連れて行っていった方が良いだろうか。体調が悪いのに遠方の知らない病院に連れていくことは余計にストレスになるのではないか。優柔普段な私は決めきれず、明日の様子を見て決めようと思った。

6日(月)の朝、マロンは跳び箱ハウスの中から顔を出しケージから出してもらうのをスタンバイしているようだった。ご飯はやはり食べた形跡がない。うんちもしていない。抱き上げて外に出すと、歩き方がおかしい。後脚をうまく動かせていないようでふらふらとしている。えっ?と思い私の膝(フリース)の上に乗せると何事もなかったかのように歩いてホリホリ遊びはじめる。フローリングの床が滑るせいかと思い、試しにソファーにのせたところ、やはり後脚を引きずるようにふらついた歩き方をする。背中の脈動もいつもより大きいような気がした。

足に異常があるのかと思い仰向けに寝かせてみたところ、後ろ足が一瞬ピクピクと痙攣した。それを見てハリネズミ特有のふらつき症候群(WHS)が頭をよぎった。ふらつき症候群(WHS)であった場合、闘病は長期戦となり、定期的に通院することになる。片道二時間以上かかる遠方の病院では移動時の負担が大きい。明日まで様子を見て近く(といっても片道一時間)の病院に行く方が負担は少ない。どうしたものかと再び膝にのせたところ、また何事もなかったかのようにもそもそと歩いてベットメイキングをはじめる。

今度はハリハウスに移動させて様子をみたところ、ヨタヨタとはしているが後脚を動かし自分で歩いていた。

どうしたものか。決めきれず、出かける準備をしつつ午前中いっぱい様子を見ることにした。ハリハウスを覗き込むと「なあに?」という感じで鼻先をもちあげる。ご飯は食べないが先ほどのような痙攣は起こらない。私がしょっ中覗き込むせいか、あまり寝ようとしないマロン。落ち着いて眠れるようにとケージに戻したところ、ポテポテと歩いて給水機へ向かい、いつものように勢いよく水を飲み始めた。水を飲み終わるとその場でおしっこをした。「ああ!よかった。」と安心した。ハリネズミは2-3日であれば食事をしなくても平気な動物だ。水が飲めて、おしっこがでるのであれば1日このまま様子を見ても大丈夫だろうと思い、病院は7日に行くことに決めた。

お漏らししてしまったシーツを片付けていると、今度はマロンがフードをカリカリと食べ始めた。少量ではあったが自分から食べる姿を見てさらにホッとした。食欲はある。やはり歯茎に痛みがあるので食べようとしないのだろう。ならば歯茎に負担のかかりにくい形状のものであれば食べてくれるのかもしれないと思い、ペットショップへ走った。昔マロンが食べていたドライチーズや栄養価が高い子猫用の流動食、ダメ元でミルワームなどを買う。いざとなったら強制給餌ができるよう、シリンジも購入した。

帰宅するとマロンはトイレの上にいた。トイレのヘリに顎をのせて寝っ転がっている。いつもは跳び箱ハウスの中で寝ているのに、トイレの上で野良寝している。おしっこやうんちをした形跡はない。不自然な野良寝だ。心配になり抱き上げて外に出すと、私の膝の上をもそもそと歩き回ってベッドメイキングを始める。ヨタヨタしているが動き回る元気はある。単に食べていないから力が出ないだけなのだろうかと思った。

マロンを膝にのせた状態で「いろいろ買ってきてみたんだけどどうかなー」と言って、まずチーズを口元に持っていく。匂いを嗅ぐが拒否。元気な時に全く食べようとしなかったミルワームは当然のことながら断固拒否。「やっぱりだめかー」と見ていると、えずくように口をくちゃくちゃ開け閉めし始めた。昨日ブリスキーを吐いた時と同じだ。明日病院でこの症状を見てもらおうと思い、動画を10秒ほど撮影する。結果的にこれが最後のマロン動画となってしまった。

口元から血の滲んだ唾液が出ているのに気がつき、ガーゼでそれを拭った。右側の歯茎から少し出血しているのがわかった。昨日の血の混じった唾液もこの炎症部分からの出血によるものだとわかった。もしかしたら血の味がして口の中が気持ちが悪いからフードを食べないのかもしれない。そう思って湿らせたガーゼで血が出ている歯茎をそっと拭いたところ、私の指ごとガーゼにガブっと噛み付いた。噛む力は十分に残っているのがわかり安心した。

口を拭った後、今度は子猫用流動食をスプーンに出し、口元に差し出す。少しでも舐めてくれればと思い、腫れていない方の口元にフードをつけてみた。やっぱり舐めてくれない。やはり偏食王子は一筋縄ではいかない。給餌を諦め「本当に頑固な子だねえ」と、口元につけたフードをガーゼで拭き取った時、違和感を感じて背筋が寒くなった。なぜだか「もういない」ことがわかったのだ。

さっきまで脈打っていた針山が動いていない。おそるおそる「マロン?」と膝から抱き上げる。いつものきょとん顔で手足をおっ広げたマロンだが、ピクピクと常に動いていた鼻先が動いていない。目も動いていない。お腹や背中に顔を当ててみた。何も聞こえないし、何も感じない。頭では逝ってしまったことを理解したが、気持ちがついてこなかった。

ハリネズミは臆病な動物なので、マロンにはいつも穏やかな小さな声で話しかけるようにしていた。それなのにその時の私は、自分でもびっくりするくらいの大きな声で「やだやだやだやだ!逝かないで!マロン!」と文字通り泣き叫んでいた。暴走する感情と「落ち着いて!心臓マッサージを試そう」という冷静な思考とが完全に分離していて、まるで自分ではないみたいだった。娘や夫がいない時で本当によかったと思う。あんな取り乱した姿、家族であっても見せたくない。

まだ温かくて柔らかいマロンを膝に抱きながらひたすら泣いた。一方でそれを俯瞰して見ている自分もいた。

長距離でも今日病院に連れて行けばよかったのだろうか。でも慣れない移動で通院中に亡くなっていたかもしれない。

歯肉炎が原因で食欲がないのではなく、内臓疾患があったのではないか。マロンの体が発していた病気のサインを私は見落としていたのではないか。

被捕食動物のハリネズミは本能的に体調の悪さを隠す。最後に水を飲んだりフードを食べたりしたのは野生本能に基づくフェイントだったのではないか。

3歳になった時点で一度健康診断を受けた方がよかったのかもしれない。でも、元気なのに麻酔をかけて診断を受けることはストレスになるし、マロンはそんなことを望んではいないだろう。長生きを願うのは私のエゴではないのか。そう思ってやめたのではなかったか。

あの時、えずいていたのは呼吸が苦しかったからではないのか。だとしたら無理にフードを食べさせようとせず、マロンのペースに任せておけばよかったのでは。さっきの給餌がストレスになり、死を早めたのではないか。

食べたくないなら好きに膝の上を歩かせて、好きな体勢で寝かせてあげればよかった。楽な体勢で休ませていれば体力回復したかもしれない。

最後に口につけたのが大好きなヘッジホッグダイエットじゃなくてごめんなさい。

後悔やら言い訳やら謝罪やら、様々な思考が頭の中でぐるぐると巡っていた。

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